2009年09月07日
快適な中国の夜行寝台列車
8月24日の夜9時50分発の銀川発西寧行きの夜行列車に乗った。
1等のコンパーメントは、2段ベットで4人、2等は3段ベットで6人らしい。私たち高年齢のものは、1等の寝台車に載せてもらった。中国の車両は、広軌道であるため、ゆったりとしている。昨年も、ゆっくりよく寝たので、今年は、乗って、トランクを上に挙げたとたん私は、寝る態勢に入った。
この日は、中国のお風呂《と言ってもシャワー浴び放題・・・・の施設》にも入って、身も心もゆったりとした時間をすごしたあとの乗車だったので、本当に気持ちがよく眠ることができた。
明け方、駅の近くの景色は、暗い。
ああーー雨だ!! この雨が、アラシャンにも届くといいね・・・・と思っていたら、アラシャンも降ったようだ。
午前11時05分青海省の省都、西寧に着く。
中国の鉄道は、日本では、あまり利用しないことは多いようだけれど、噂よりも車中は快適だが、日本のように確実ではなく、座席に関しては、アバウトである。それと言葉がわかる人がいないと大変であるということがわかった。このたびも、アラシャンオイスカ所長の富樫さんと、ナレン君がいなかったら、お手上げだった。
1等のコンパーメントは、2段ベットで4人、2等は3段ベットで6人らしい。私たち高年齢のものは、1等の寝台車に載せてもらった。中国の車両は、広軌道であるため、ゆったりとしている。昨年も、ゆっくりよく寝たので、今年は、乗って、トランクを上に挙げたとたん私は、寝る態勢に入った。
この日は、中国のお風呂《と言ってもシャワー浴び放題・・・・の施設》にも入って、身も心もゆったりとした時間をすごしたあとの乗車だったので、本当に気持ちがよく眠ることができた。
明け方、駅の近くの景色は、暗い。
午前11時05分青海省の省都、西寧に着く。
中国の鉄道は、日本では、あまり利用しないことは多いようだけれど、噂よりも車中は快適だが、日本のように確実ではなく、座席に関しては、アバウトである。それと言葉がわかる人がいないと大変であるということがわかった。このたびも、アラシャンオイスカ所長の富樫さんと、ナレン君がいなかったら、お手上げだった。
2009年09月05日
教科書交流
今回のツアー参加で、アラシャンへ少しお土産を持って行った。その中で一番重かったのは、算数の教科書だ。
これは、5月にアラシャンへボランティアに行ったときに知り合いになった、内モンゴル自治区 アラシャン第一実験小学校の6年担任ウー先生が、センターに来られて、話をしたことから始まる。

先生は、オイスカの農場に子どもたち、保護者をまきこんで植林をされ、その後行った、砂丘登山でも、環境教育を徹底され、ゴミ拾いを子どもたちとしたという行動派の先生である。
ウー先生が、算数の勉強を国の研修で行い、日本の教科書がとてもきれいだということを知った。そこで、「見たいものがある」と切り出され、「日本の算数の本が見たい。それで勉強したい」と言われた。
教科書は、簡単に手に入らなかった。梅坪小の、校長、教頭先生の手を煩わせて持っていくことができた。多くの方のあ世話で、ウー先生の手に渡すことができた。
ホッとしている。
これは、5月にアラシャンへボランティアに行ったときに知り合いになった、内モンゴル自治区 アラシャン第一実験小学校の6年担任ウー先生が、センターに来られて、話をしたことから始まる。
先生は、オイスカの農場に子どもたち、保護者をまきこんで植林をされ、その後行った、砂丘登山でも、環境教育を徹底され、ゴミ拾いを子どもたちとしたという行動派の先生である。
ウー先生が、算数の勉強を国の研修で行い、日本の教科書がとてもきれいだということを知った。そこで、「見たいものがある」と切り出され、「日本の算数の本が見たい。それで勉強したい」と言われた。
教科書は、簡単に手に入らなかった。梅坪小の、校長、教頭先生の手を煩わせて持っていくことができた。多くの方のあ世話で、ウー先生の手に渡すことができた。
ホッとしている。
2009年09月04日
変わった、アラシャンセンター
2か月ぶりで訪れたアラシャンセンター。ウーさんやハンさんと話す暇もなくばたばたと動き回った。数時間の滞在では何もできないと改めて思った。懐かしい居間には行くことができなかった。
いろいろと変わっていた。
あれ!門ができている!
エミュー小屋が大きくなっている。オー!!エミューが走り回っている!!今日はたくさんのお客さんだからうれしいよねえ。
あ!!井戸小屋だ!
玄関前の花壇は花が満開!
6月に植えた温室のトマトは、大きくなって、身をつけている。
たくさんの変化があった。富樫さんが、酒向さんが来るまでにやっておきたいと言って、みんなが頑張ったのだろうなあ!!。
一番気になった、モンゴル実験第一小学校の6年生が植えた楡の木は、葉を出していたよ。
来年また、大きく伸びてね。
たった3週間、一緒に仕事をし、ご飯を食べたことが、こんなにも気になることになると、初めてわかった。今や、私にとって、ふるさとがまたできた。娘も息子もいるし、今度は、もう少し長く滞在したいと強く思った。
いろいろと変わっていた。
あれ!門ができている!
エミュー小屋が大きくなっている。オー!!エミューが走り回っている!!今日はたくさんのお客さんだからうれしいよねえ。
あ!!井戸小屋だ!
玄関前の花壇は花が満開!
6月に植えた温室のトマトは、大きくなって、身をつけている。
たくさんの変化があった。富樫さんが、酒向さんが来るまでにやっておきたいと言って、みんなが頑張ったのだろうなあ!!。
一番気になった、モンゴル実験第一小学校の6年生が植えた楡の木は、葉を出していたよ。
来年また、大きく伸びてね。
たった3週間、一緒に仕事をし、ご飯を食べたことが、こんなにも気になることになると、初めてわかった。今や、私にとって、ふるさとがまたできた。娘も息子もいるし、今度は、もう少し長く滞在したいと強く思った。
2009年09月03日
アラシャンオイスカセンター
内モンゴル実験第一小学校の子どもたちとオイスカアラシャンセンターで植林をした。


外国の人と行動を共にするときは、夏といえども民族服を着てやるのか、私の相棒は、毛皮も使われている服を着て仕事をした。

彼は、からからに乾いた粘土を、シャベルを上手に使ってあけていく、代わうか?とゼスチャーで言うが、がんばってやってくれた。「チェンジ!」と英語で言ったら、わかったらしく、シャベルを出した。英語の勉強が進んでいるのだと思った。
この日は、アラシャンセンターの富樫所長が考えた、2層になった袋に、保水材と砂を混ぜた中に、スナナツメを植えた。66本しか植えることができなかった。
ゆっくりセンターで仕事ができたらよかったと思う。次のときは、センターで1日作業をしたい。
外国の人と行動を共にするときは、夏といえども民族服を着てやるのか、私の相棒は、毛皮も使われている服を着て仕事をした。
彼は、からからに乾いた粘土を、シャベルを上手に使ってあけていく、代わうか?とゼスチャーで言うが、がんばってやってくれた。「チェンジ!」と英語で言ったら、わかったらしく、シャベルを出した。英語の勉強が進んでいるのだと思った。
この日は、アラシャンセンターの富樫所長が考えた、2層になった袋に、保水材と砂を混ぜた中に、スナナツメを植えた。66本しか植えることができなかった。
ゆっくりセンターで仕事ができたらよかったと思う。次のときは、センターで1日作業をしたい。
2009年09月02日
内モンゴル実験第一小学校
中国の学校は、新学期が、8月末から9月初めとなっている。実験第一小学校に行った日は、まだ、休み中で、学校のあちこちを修理していた。
校門で、歓迎の儀式がある。
45度の強いお酒とモンゴルの青い空を表すスカーフを巻いてもらう。子どもたちは、個性あふれる民族衣装で歓迎だ。
昨年、一緒に校庭に植えた木も元気に育っていた。
中国の学校は、どこでも自分の学校の歴史と現状を残している部屋がある。そこには、教育実積の表彰状等もある。日本の学校に欠けているのは、足跡を残すことをやめていることかもしれない。自分の家、学校、地域、国の誇りを持つためには、何をどう残しておくかではないかという気もした。
ウー先生に日本の算数の教科書を渡した。この教科書を持ってくるにあたっては、梅坪小学校の校長・教頭先生にお世話になった。
校門で、歓迎の儀式がある。
45度の強いお酒とモンゴルの青い空を表すスカーフを巻いてもらう。子どもたちは、個性あふれる民族衣装で歓迎だ。
昨年、一緒に校庭に植えた木も元気に育っていた。
中国の学校は、どこでも自分の学校の歴史と現状を残している部屋がある。そこには、教育実積の表彰状等もある。日本の学校に欠けているのは、足跡を残すことをやめていることかもしれない。自分の家、学校、地域、国の誇りを持つためには、何をどう残しておくかではないかという気もした。
ウー先生に日本の算数の教科書を渡した。この教科書を持ってくるにあたっては、梅坪小学校の校長・教頭先生にお世話になった。
2009年09月01日
沙漠に飲み込まれる村
3年間続けて同じ村を訪れると、緑が少なくなり、あたりが茶色に代わっているのがわかる。それでも、中国の人たちは、「仕方がない」といってあきらめている。黄河の近くのバインムーレン村も同じである。
しかし、オイスカが大阪トヨタの支援を受けて植林している場所は緑である。
3年前草方格といって砂丘に1メートル四方の線の上に麦藁を埋め、砂を動かないようにした。
2年目は、その中にそうそうを植えた。
ソウソウの木が根付いているのを見て感動した。
今年は、1年目に植えたスナナツメの木を剪定した。
手を入れれば、1割くらいだけれども木が育っている。これをあきらめず10年続けたら、地下水があるのだからきっと森ができると思うが、なかなか村の人は動かない。
村の人があきらめても、私たちはあきらめない!自然の可能性を信じて続けていこうと思った。

しかし、オイスカが大阪トヨタの支援を受けて植林している場所は緑である。
3年前草方格といって砂丘に1メートル四方の線の上に麦藁を埋め、砂を動かないようにした。
2年目は、その中にそうそうを植えた。

今年は、1年目に植えたスナナツメの木を剪定した。
手を入れれば、1割くらいだけれども木が育っている。これをあきらめず10年続けたら、地下水があるのだからきっと森ができると思うが、なかなか村の人は動かない。
村の人があきらめても、私たちはあきらめない!自然の可能性を信じて続けていこうと思った。